鴬ボールの歴史
HISTORY
米菓一筋110余年、
神戸で美味しさを追求し続けてきた
植垣米菓の歴史をご紹介します。
植垣米菓について
六甲山系の良質な天然水と素材にこだわり110余年。
当社は、文明開化により西洋化が進む神戸で、
明治40年(1907年)に創業しました。
創業者の「本物の材料を使い、まごころで焼く」を守り、
本物の美味しさでカラダにやさしい自然の味を作り続けてきました。
鴬ボールの由来
鴬ボールは、
昭和5年(1930年)に当社で初めて作った
もち米を使って油で揚げた、カリント風味の米菓です。
発売当時は、
満州事変など戦時下の世情であったため、
肉弾三勇士が話題になるなど、丸くて弾けたカタチから
「肉弾ボール」「爆弾ボール」と呼ばれていました。
終戦後、
梅のつぼみのカタチに似ていることから、
春の訪れをつげる「梅にうぐいす」の発想で
「鴬ボール」に変更しました。
ギャラリー
関西ではおなじみの「あられ〜うえがき。うぐいすボール」のCMです。
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- 笑い声篇 (5秒)
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PLAYSTOP
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- 植垣だよ篇 (5秒)
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PLAYSTOP
キャラクター紹介
星間飛行の途中、宇宙船の故障で地球に不時着。
マイナスイオンの水の波動に導かれて
植垣米菓の工房に来てびっくり!
自分たちそっくりの鴬ボールが作られているのを見て、
ここにいると安全であることを確信。
以来、植垣米菓のみんなに 愛されて、マスコットになっている。
かわいがってね!